冤罪事件をなくそう
実際にあった冤罪事件の支援者や被告人本人のコメントを掲載することにより、真実を証し、不当な権力からの救済に少しでも寄与し、同時に現在の司法の問題点を明らかにすることを目的としてます。

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何故隠したがるのだろう

10月22日(木)に足利事件の再審が始まりました。この事件はDNA鑑定の誤った判断により自白を強要されて、有罪とされてしまった悲劇です。弁護団側は被告人であった菅家さんの『自白』の誤りを証明する為、証拠調べを裁判所に要求していますが、検察側は必要ないと抵抗しているようです。名誉を回復できれば良いのだから、余計な時間をかける必要はないというのが表向きの理由ですが、こちらには都合の悪いことを知られたくないと言っているように聞こえてなりません。裁判は公開が原則ですから、裁判で証拠調べということになれば警察や検察のやってきたことが公の目に晒されるわけです。ですが、取調べなどにおいて、何も問題がなかったというのであれば、そのやり方が世間に知られても困るはずがないのです。

ちょっと古い話ですが、10月7日の東京新聞の『こちら特報部』に「取調べの全面可視化」するなら「おとり捜査」「司法取引」の導入を法制化して許可せよと国家公安委員会が主張しているという記事が出ていました。この記事を読んで自分は何これ?!とまず思いました。「取調べの全面可視化」と「おとり捜査」「司法取引」をどうしてセットで考える必要があるのでしょうか。「全面可視化」と「おとり捜査」、「司法取引」は全然別次元の問題です。記事に書いてあるように、これをする代わりにあれをしてくれという取引をしようとするなどおかしな話です。まるで時代劇に出てくる悪代官が見返りを要求しているようなものです。

この3つは切り離して「取締りの全面可視化」をすぐに実現すべきです。一部可視化では駄目なのです。なぜなら一部可視化では編集が可能であり、都合の悪い部分は隠せるからです。
 取り調べる側からこのような主張が出てくるのは、見られたら都合の悪いことをしているとを自ら白状しているようなものです。また捜査能力の限界を認めているようなものです。皆さんはそう思いませんか?。

「おとり捜査」「司法取引」について、私は一概にいけないことだと言っているわけではありません。場合によっては必要なのかもしれないと考えています。ただ、人権侵害にも発展しかねない問題だけに慎重な協議が必要だと思います。これに対し、「全面可視化」はすでに人権を侵している可能性が非常に高いわけですから、こちらは直ちに実現すべきです。正当な取調べをしていると主張するなら反対する理由はありません!!
【2009/10/21 10:03】 | 日本の司法は問題だらけ! | トラックバック(0) | コメント(1)

権力とは

このブログを再開させると1回書いたきり1年近くがたってしまいました。
この間、プライベートなことで色々とあり、心身ともに疲れ果て、とてブログを書ける状態にありませんでした。また、いたずらのような変な投書も非常に多く、嫌になっていたということも事実です。
 しかし、ようやく精神的に落ち着いてきたことに加え、やはり冤罪について考えることもいっぱいありますので、今後は無理せず時々書き込んでいこうと思います。

 まずは、このブログを立ち上げるきっかけとなった弁護士のその後についてのご報告です。自分が支援してきた弁護士は、考えうる全ての方法を駆使して戦ってきましたが、とうとう上告も棄却され有罪が確定いたしました。矢折れ、刀つきたといった状態で、もはや闘う術がなくなりました。弁護士自身も近く投獄されるのを覚悟しているようです。


 権力を司るということはどういうことなのだろうと時々、考えます。
権力は人の一生を変えてしまう力を持っていますから、絶対に間違いがあってはならないのです。しかし、冤罪はなくなっていません。権力側は間違いに気がつきません。気がついても認めようとはしません。冤罪をなくし、間違いをなくすには組織構造云々ではなく、権力を持つ側が次のことをまず実践することから始めなければなりません。
①素直な心
②反省の心
③謙虚な心
④奉仕の心
⑤感謝の心
この五つの心を持ち実行しなければ、今の悪しき構造の改革は絶対に臨めません。
 実はこの五つの心は5訓と言って多くの刑務所で受刑者たちに教えていることです。しかし、権力を持つものたちこそこの5訓が必要です。権力側はこの5訓を受刑者たちに押し付け自分等は人の言うことに耳を貸さず、反省もしないのでは話になりません。

 多くの冤罪が発生しているみも係らず、残念ながら今の日本では、冤罪に対してさほど関心は高くありません。権力構造を変えられる可能性を持つものは、圧倒的多数による国民の声しかありません。どうか皆さん、冤罪にも多くの種類があるということを知り、また、権力とはどういうものかをよく考えてください。
 そして、もしこのブログを読んで自分も冤罪事件に関わっているという方、また自分はこう思うという方、遠慮なく意見を下さい。

テーマ:雑記 - ジャンル:日記

【2009/10/05 19:45】 | 日本の司法は問題だらけ! | トラックバック(0) | コメント(0)

「私は貝になりたい」を見て・・・

 このブログの再開に向け、まず何を書こうかと考えていましたが、先日映画の「私は貝になりたい」を見てきましたので、その時考えたことを書かせていただきます。
 この映画は見ていてとても辛かったです。主人公の清水豊松の絞首刑が執行されるシーンがラストですから何の救いもありません。でもこの映画の持つ意味は大きいと思いますので、皆さんにも是非見てもらいたいと思います。戦争による悲劇などというありきたりなものだけがテーマではありません。力をもつということがどういうことかを考えて欲しいというメッセージを感じました。
【2008/11/25 14:50】 | 日本の司法は問題だらけ! | トラックバック(0) | コメント(0)

ブログ再開に向けて

 このブログを書かなくなってから、一年以上が経ってしまいましたが、この間自分の相続問題で右往左往しておりました。
 先代からの負の遺産相続で、4億円からの借金を抱え、銀行への返済、税金の支払などに行き詰ってしまい、その対応に追われ、解決するのにたいへん多くの時間を要しました。結局引っ越さざるを得なくなりましたが、自宅などの所有物件を売却し、なんとか一段落することができました。この自分の問題を解決するために多くの方々が協力してくれました。正直言ってもし協力者がいなかったら自分1人ではどうにもならなず、今頃首をくくっていたかもしれません。それぐらい深刻な状況でしたので、解決に向け協力してくださった方々には感謝の念が絶えません。
 ことほど左様に個々の力など微々たるものであるということを痛感いたしました。また同時に、不可能と思えることも、力を合わせれば可能になるということも実感いたしました。
 冤罪事件も同じだと思います。権力者が権力を誤って使ったことに対し、1人で訴えても何も変わりません。しかし、多くの人が集まり訴え続ければいつかは変えることができる・・・そう信じることができるようになりました。
 自分がこのブログを休んでいた間にも、世間では冤罪を思わせるような事件がいくつかおきているようです。また、山下事件にしても色々と動きがあったようです。これからはまた、世の中の冤罪事件撲滅を目指し、山下事件を中心に訴えいていきたいと思います。
 少しでもこのブログに興味を持ってくださった方々に長々と休んでしまったことをお詫び申し上げます。そして、このブログの輪が少しでも広がるよう、またご協力お願いいたします。

【2008/11/10 15:15】 | 日本の司法は問題だらけ! | トラックバック(0) | コメント(0)

婦女暴行などやってない!⑤

 事務所の引越しなどもあり、しばらくこのブログの更新をしておりませんでしたが、この間にも山下弁護士に関することをはじめ、多くことがありました。TY君の事件についてもそうです。8月3日には高等裁判所において第1回公判がありましたので、今回はそのことについて述べていきます。
 TY君の事件については検証がまだ途中でありますが、8月3日の公判は日本司法の問題点がそのまま具現化したようなものでしたので、先に述べていきます。
 第一回公判の内容は、TY君を初めとする関係者全員を絶望させるひどいものでした。数々の矛盾点を指摘し、真実を見て欲しいと訴えいているのに、証拠申請したものを何一つ認めず、一審で審議したものを蒸し返す必要はないというものでした。しかも、その間わずか30分です。そして、次回は早くも判決だそうです。あまりにもひどすぎます。
これでは何の為の控訴審でしょうか。
 裁判官は中立であり、双方の主張を平等に聞いて、正しく判断するのが職責であるはずです。そして、一審でそれがかなわなかったから、控訴審でもう一度見直して欲しいと訴えたわけです。それを、何一つ見直そうともせず、偏見にみちみちた対応をするなど、人間として許されることではありません。裁判官とて人間だから過ちを犯す可能性がある、だから日本の裁判は三審制となっている、という司法の基本理念はどこへ行ってしまったのでしょうか。最初から一審の判断は正しいのだという前提条件で裁判をすすめる高等裁判所など存在自体がもはや無意味です。仮に最終的な決定が一審と同じになったとしても、その過程において十分に調べなおしたうえでなければなりません。それが一審で審議したものを蒸し返す必要はないなどと発言する裁判官は、自らの存在理由を否定しているようなものです。難しい司法試験を突破し、裁判官になっているわけですから、頭がいい人たちなのかもしれませんが、人間として肝心なものが欠如しているとしかいいようがありません。
 冤罪を主張している以上、被害者とされるものが嘘を言っていたり、他に真犯人がいる可能性があるわけです。それを、そのような可能性などないなどと、よく調べもせず決め付ける裁判官の神経が信じられません。TY君の事件の場合、警察・検察を騙しているのは被害者を名のっている者の方です。警察や検察が騙されているなどとは認めないのは、真実よりも面子のほうが大事であるということでしょうか。そして、その警察・検察の主張を丸呑みし、被告人の主張をことごとく退ける裁判所はもはや警察や検察と癒着しているようなものです。
 少々表現が過激なものになっておりますが、嘘を言って被害者を名乗る人間や真犯人が何ら罰せられることなく大手を振って世間を歩いているのに、身に覚えのないことで被告人とされている立場の者のことを考えるとこれでも言い足りないくらいです。
 ともかく、このような状況が続くのであれば、日本の司法は既に死んでいるようなものです。
【2007/08/06 12:32】 | 日本の司法は問題だらけ! | トラックバック(0) | コメント(2)
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Author:shinnjitu
行政書士の廣瀬直樹です。自分もちょっとしたことから冤罪と言われる事件に関わるようになり、冤罪事件が不当な権力によっていとも簡単に作られ、まわりの人間がどんどん不幸に巻き込まれていくことを知りました。冤罪事件は決して『ヒトゴト』ではありません。

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